鶴形山
美観地区の北にそびえる自然豊かな丘陵
鶴形山(つるがたやま)は倉敷美観地区のすぐ北側にそびえる標高約40メートルの丘陵です。明治時代の半ばまでは妙見山(みょうけんざん)と呼ばれていました。山の東寄りには倉敷総鎮守の阿智神社、西寄りには観龍寺があります。
また南の麓を東西に本町通りや倉敷本通りが走っており、かつては繁華街として栄えました。さらに鶴形山の中央より少し西寄りを、南北に鶴形山隧道(ずいどう)が通っています。鶴形山隧道は大正末期に皇太子時代の昭和天皇が行幸されたのを記念し、昭和元年(1926年)に建設されました。
鶴形山のほぼ全体は、鶴形山公園として整備されています。市街地にありながら豊かな自然を楽しむことができ、野鳥なども飛来します。かつては、小動物園もありました。
鶴形山には約120本の桜(ソメイヨシノ)が植樹されており、春には桜の花が咲き、多くの花見客でにぎわいます。
阿智神社の境内北側にある「阿知の藤」と呼ばれる巨大な藤にも注目です。阿知の藤は樹齢300〜500年といわれ、岡山県指定の天然記念物です。毎年4月下旬ごろに見事な藤の花が咲き、「藤見の会」が開かれ、多くの見物客が訪れます。
観龍寺の東隣、鶴形山隧道の真上にあるのは「鶴形山の鐘楼(しょうろう)」です。中には「時の鐘」があり、江戸時代には町に時間を知らせる役目がありました。現在は自動鐘打機によって鐘がつかれています。
ピックアップ
鶴形山の鐘楼(時の鐘)
鶴形山の鐘楼は観龍寺の東隣、鶴形山隧道の上側にあります。中には「時の鐘」が吊されており、江戸時代には倉敷の町に時間を知らせていました。
もともと鶴形の鐘楼は江戸時代中期の寛保2年(1702年)に、地元の庄屋によって建てられました。その後、明治38年(1905年)に倉敷紡績(クラボウ)初代社長を務めた大原孝四郎が、新たな鐘楼の建物と鐘を寄贈します。
現在の時の鐘は、昭和の戦後に大原總一郎により寄贈されたもの。時の鐘には、棟方志功による図柄が施されています。なお、普段は鐘楼の中に入れません。
時の鐘は長く打たれていませんでしたが、市民からの要望を受け、昭和52年(1977年)に倉敷ライオンズクラブが自動鐘打機を寄贈しました。現在は自動で1日7回、6・9・12・15・17・18・21時に鐘が鳴ります。
観龍寺
観龍寺は、鶴形山の西寄りにある古い寺です。鶴形山隧道南口の向かって左側にある石段を上ったところにあります。
江戸時代に2度の火災にあいましたが再建された本堂や大師堂、幕末に倒幕派の兵士が山門を傷つけた跡などが見どころです。
阿智神社
阿智神社は鶴形山の東寄りにある古い神社で、倉敷の総鎮守です。明治になるまでは妙見宮と呼ばれていました。鶴形山南側の本町通り沿いに東参道、鶴形山西側に西参道があります。
随身門に刻まれたウサギの模様、江戸時代初期に建てられた本殿、旧拝殿を使っている絵馬殿、天津磐境などが見どころです。
阿知の藤
阿知の藤は阿智神社の境内の北にある、アケボノフジの古木です。樹齢は300〜500年とされており、幹周りは約1.5メートルあります。岡山県指定の天然記念物です。
毎年4月下旬〜5月上旬ごろにキレイな藤の花が咲き、「藤見の会」が開かれてとてもにぎわいます。ちなみに藤の花は、倉敷市の市花です。