倉敷川畔
川港として栄えた歴史を残す重伝建地区
倉敷川畔(くらしきがわはん)は、倉敷美観地区を代表する景観です。
美観地区と聞いたとき、まっさきに思い浮かぶ景色ではないでしょうか。
倉敷川沿いに約400mにわたり、江戸時代後半以降に建てられた本瓦葺塗屋造りの町屋や、土蔵造りなどの歴史ある町並みが続いています。
白壁やナマコ壁の建物が続く町並みは、倉敷の象徴的な景観といえるでしょう。
倉敷窓や倉敷格子に白色漆喰仕上げのナマコ壁の建物は、黒と白のコントラストが美しいです。
古い町並の中に明治時代に建てられたレトロな洋風建築も混じり、川沿いの柳並木とともに倉敷ならではの景観を織りなしています。
それらの歴史ある建物を生かした飲食店や小売店、宿泊施設、文化施設などがたくさん並び、多くの観光客が訪れているのです。
さらに夜間にはライトアップされ、昼間とは違った美しい雰囲気になるのも魅力ではないでしょうか。
倉敷川畔の町並みは、1979年(昭和54年)に国の重要伝統的建造物群保存地区として指定されています。
倉敷川畔周辺の町並み保存は、倉敷紡績や倉敷絹織の社長を歴任した大原孫三郎によって始まりました。
その後、長男の大原總一郎に受け継がれ、保存・整備活動が進み、現在の美観地区の姿があるのです。
歴史
倉敷美観地区があるところはもともと島の一部で、周辺は海でした。
安土桃山時代、宇喜多秀家によって干拓がおこなわれて倉敷も陸続きになります。
江戸時代になると干拓がさらに進められて、開墾地が拡大していきました。
倉敷の町は江戸幕府の直轄地(天領)となり、町には代官所が建てられて代官が派遣されます。
倉敷川は倉敷の町と児島湾を結ぶ運河として造成され、倉敷川は周辺でとれた年貢米や綿花などが集められ、運ばれる物資輸送の集散地として栄えました。
倉敷川のほとりには商家の家屋や土蔵が建ち並び、現在の倉敷川畔の町並の元になったのです。
明治時代になると倉敷代官所跡(現在のアイビースクエアの場所)に倉敷紡績(クラボウ)が建てられたほか、大原美術館や倉敷町役場(現在の倉敷館)などといった、西洋建築の建物も建てられました。
ピックアップ
語らい座 大原本邸(旧大原家住宅)
旧大原家住宅は倉敷紡績や倉敷絹織を創業し、大原美術館を建設した大原家の邸宅として使用されていた建物です。
母屋・離れ・蔵8棟などが良好な状態で保存されており、国の重要文化財に指定されました。
現在は「語らい座 大原本邸」として一般公開されています。
倉敷考古館
倉敷考古館は、倉敷を含む吉備地方で発掘された遺物や資料などを展示しています。
倉敷考古館の建物は、江戸時代の豪商「浜田屋」の小山家の米蔵を改装した歴史あるものです。
建物の側面は上から下までナマコ壁になっており、当時の小山家の繁栄ぶりがわかります。
大原美術館
大原美術館は美観地区を代表する観光スポットのひとつといえるでしょう。
1930年(昭和5年)に大原孫三郎によって設立され、我が国最初の西洋美術・近代美術を所蔵する私立美術館でした。
本館の建物はギリシャ神殿を思わせる西洋建築で、迫力があります。
大原美術館ではルノワール、ゴーギャンなど、数々の名画を展示しており、なかでもエル・グレコ『受胎告知』やクロード・モネ『睡蓮』は有名です。
倉敷館
倉敷館は1917年(大正6年)に当時の倉敷町役場だった建物で、倉敷町が旧倉敷市になったあとも1932年(昭和7年)まで市役所として使われていました。
その後は、現在まで観光案内所・無料休憩所として使われています。
倉敷館は木造の洋風建築で、昔ながらの歴史ある町並の中にレトロな洋風建築が混じる、倉敷特有の和洋折衷の町並を代表する建物です。
くらしき川舟流し
かつて倉敷川は物資輸送のために、多くの川舟が行き交いました。
現在では観光用に川舟が運行されています。
美しい倉敷川畔の町並みを、川の上からゆったりと眺められるのが魅力です。
陸上で見るのとは違った景色を楽しめます。