吉備津神社
桃太郎のモデルといわれる大吉備津彦命を祭る吉備国の総氏神
吉備津神社は岡山県岡山市北区の吉備中山(きびのなかやま)の北西に鎮座しています。備中国の一宮で、歴史と由緒のある神社です。
もともと吉備津神社は吉備国の総鎮守でした。飛鳥時代末期ごろ、吉備国が備前・備中・備後の三国に分かれます。その後、備前と備後にも吉備津神社が建てられてそれぞれ備前一宮・備後一宮となり、もともとあった吉備津神社は備中の一宮となりました。そのため吉備津神社は、今も三備(備前・備中・備後)一宮とも称せられています。
吉備津神社の主祭神は、大吉備津彦大神(おおきびつひこのおおかみ=大吉備津彦命)です。孝霊天皇の皇子で、吉備の鬼ノ城(現 総社市)に住む温羅(うら)という鬼神を退治したという伝承があります。この伝承は童話・桃太郎の話のモデルで、大吉備津彦大神は桃太郎のモデルという説があることから、岡山県は桃太郎ゆかりの地として知られるようになりました。
吉備津神社の創建時期や由来は不詳です。一説では仁徳天皇が黒媛(くろひめ)を慕って吉備へ行幸したとき、大吉備津彦命の霊夢により社殿を創建してお祀りしたともいわれています。
吉備津神社では、境内にある御竈殿(おかまでん)で行われる「鳴釜神事(なるかま しんじ)」が広く知られています。焚いた釜から鳴る音の状態で、吉凶を占うものです。御竈殿の下には、大吉備津彦命によって温羅の首が埋められているとされ、鳴釜神事は温羅のうなり声に由来するという伝説があります。
鳴釜神事がいつごろから始まったのかは、定かではありません。もっとも古い文献では、永禄11年(1568年)5月16日の『多聞院日記』に吉備津神社の鳴釜神事について書かれています。
ピックアップ
本殿・拝殿
入母屋(いりもや)の屋根を並べて繋げた本殿と拝殿が連なる社殿は、「比翼入母屋造」という様式です。全国でも吉備津神社だけというめずらしいもので、通称「吉備津造」とも呼ばれています。
社殿は室町時代の応永32年(1425年)に再建された非常に古いもので、国宝に指定されています。
北随神門
北随神門(ずいしんもん)は、拝殿に向かって続いている北参道の石段の途中に建っています。室町時代中期に再建されました。国の重要文化財に指定されています。
廻廊
吉備津神社は、とても長い廻廊(かいろう)があることで知られています。拝殿の向かって右側から、自然の地形をそのままに利用して一直線に続いているのが特徴です。全長は約360mにもおよびます。
廻廊は安土桃山時代の天正7年(1579年)に再建されたもので、岡山県指定の重要文化財です。
南随神門
本殿の右後ろ、廻廊の途中に南随神門が建っています。南北朝時代の延文2年(1357年)に再建されたもので、吉備津神社に現存する最古の建造物です。国指定の重要文化財になっています。
御竈殿・鳴釜神事
御竈殿は、本殿・拝殿や廻廊とともに吉備津神社を代表する建造物です。現在の御竈殿は、江戸時代初期の慶長17年(1612年)に、石見銀山の発掘で知られる安原知種が願主となって再建されました。国の重要文化財に指定されています。
御竈殿でおこなわれる鳴釜神事は、その神秘性により全国的に知られています。
矢置岩・矢立の神事
矢置岩(やおきいわ)は、北参道の石段登り口の横側、手水舎の隣にあります。祭神の大吉備津彦命が温羅を対する際に使った矢を置いたとされる、大きな平たい岩です。
この伝説にちなみ、吉備津神社では毎年1月3日に「矢立の神事」が行われています。矢立の神事は矢を放って邪気払いをし、一年の国家安泰と五穀豊穣を祈る神事です。
アジサイ園
吉備津神社の境内にはアジサイ園があり、アジサイの名所として知られています。毎年6月下旬から7月初旬までのあいだ、約1500株のアジサイが美しく咲きます。
インフォメーション
住所 |
岡山県岡山市北区吉備津931 |
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アクセス |
JR吉備線 吉備津駅から徒歩約10分 |
TEL |
086-287-4111 |
FAX |
086-287-7644 |
公式HP | |
参拝可能時間 |
5:00〜17:30 |
授与所受付時間 |
9:00〜16:00 |
祈祷受付時間 |
9:00〜14:30(鳴釜神事は9:00〜14:00) |
御朱印受付時間 |
9:00〜16:00 |