総社
古代吉備の中心地で、史跡が多く残る吉備路
総社市は倉敷市の北側にある市です。平成17年(2005年)に旧 総社市・都窪郡 山手村・都窪郡 清音村が対等合併し、現在の総社市が新設されました。
総社市は、岡山市北区の南西部(足守・高松地区と一宮地区の一部)とともに「吉備路」と呼ばれています。吉備路は、古代に吉備国の中心として栄えました。そのため古墳や遺跡などの観光スポットが多数。
総社市にある古代の史跡としては、全国10位の規模を誇る国指定史跡の作山古墳(つくりやま こふん)、国指定史跡のこうもり塚古墳、鬼神・温羅(うら)の居城という伝説のある鬼ノ城などが知られています。
奈良時代には聖武天皇によって全国に建てられた国分寺・国分尼寺が建てられますが、備中国の国分寺・国分尼寺が現在の総社市上林に建てられました。備中国分寺は現在も残っており、五重塔は総社市や吉備路を象徴する景観です。
室町時代になると画聖として知られる僧・雪舟が、現在の総社市赤浜で誕生します。雪舟は現在も総社市井尻野に残る宝福寺で修行しました。宝福寺は雪舟ゆかりの地として人気の観光地です。
総社市中心部にある備中国総社宮は、総社という地名の由来になっています。総社宮の門前町が、総社市中心市街地の起源です。
古代の史跡が多く、温羅の居城という伝説がある鬼ノ城もあることから、平成30年(2018年)に総社市の史跡の多くが日本遺産「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま 〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜」に認定されました。日本遺産の構成文化財になっている総社市の史跡は、鬼ノ城、鬼の釜、血吸川、作山古墳、こうもり塚古墳です。
ピックアップ
備中国総社宮
平安時代に一国の有力神社を一か所に合わせ祀った神社を、総社と呼びました。現在、総社市に残っている備中国総社宮は、備中国の総社として建てられた神社です。備中国の324柱の神を祀っています。
備中国総社宮は、岡山と備中松山を結んだ「松山往来」という街道沿いにありました。そして総社宮の門前町として栄えたため、町の名前も総社と呼ばれるようになったのです。総社宮の門前町は現代になり、総社商店街に発展しました。
総社宮の境内には、三島式庭園があります。古い庭園の様式を今に残し、長い回廊とともに総社宮を代表する景観です。
備中国分寺
奈良時代に各国に建てられた国分寺ですが、備中国の国分寺は総社市に建てられ、現在に残されています。建物は南北朝時代に一度焼失したとされており、現在の建物は江戸時代中期に再建されたものです。
国分寺を代表するものが五重塔。岡山県内唯一の五重塔です。五重塔と周辺の景色は、総社市・吉備路を代表する景観。春には菜の花やレンゲ、夏にはヒマワリ、秋は稲穂や紅葉、冬には積雪など、さまざまな美しい景色を楽しめます。
鬼ノ城
鬼ノ城は、総社市街地北部の鬼城山(きのじょうざん)の上に築かれた城跡です。古代に築かれた朝鮮式山城ですが、大規模な城にもかかわらず記録にいっさい残っていません。
一説には、白村江(はくすきのえ)の戦いで大和政権と百済の連合軍が敗れたあと、国防のために築かれたともいわれています。
また桃太郎伝説のモデルという説がある吉備津彦と温羅の戦いで、温羅が居住していた城という言い伝えも有名です。
鬼ノ城からは総社平野・吉備路が一望でき、すばらしい眺望を楽しめます。
宝福寺
宝福寺は、総社市井尻野にある臨済宗の古い寺です。室町時代に画聖と呼ばれた水墨画家で僧の雪舟が修行した寺として知られています。
雪舟は宝福寺での修行時代、修行をさぼって絵ばかり書いていたので、柱にくくりつけられました。そのとき、足を使って自分の涙で本物そっくりのネズミの絵を描いたという伝説が残されています。
現在の宝福寺は紅葉スポットとして人気です。また三重塔は、鎌倉時代の永和2年(1376年ごろ)に建てられたといわれています。宝福寺の三重塔は、岡山県で2番目に古い塔です。
豪渓
豪渓(ごうけい)は、総社市北部にある渓谷です。奇岩や絶壁が多く、槇谷川の清流と木々の調和した自然美が楽しめます。約330mの高さの天柱山や剣峰なども見どころです。
花崗岩の古さや変化に富んだ地形は大変希少で、 大正12年(1923年)には国指定の名勝になりました。秋に美しい紅葉が見られ、県内屈指の紅葉スポットとして人気があります。
古墳
総社市は古代に吉備国の中心として栄えたため、大小の古墳がたくさんあることで有名です。県内2位、全国では10位の大きさを誇る作山古墳をはじめ、こうもり塚古墳、江崎古墳、角力取山古墳、峠古墳群などがあります。県内2位の規模の前方後方墳の一丁ぐろ古墳や、弥生時代につくられたとされる宮山墳墓群なども注目の古墳です。