児島
製塩と繊維で栄えた国産ジーンズ発祥地
児島は倉敷市の南東に位置するエリアです。
現在の倉敷市は1967年(昭和42年)に、旧 倉敷市・玉島市・児島市が対等合併して新設されました。児島エリアは、このときの旧児島市にあたります。南部は海に面しており、瀬戸大橋の本州側の起点になっている地域です。
江戸時代には野﨑武左衛門(のざき ぶさえもん)によって塩田が開発され、製塩業で栄えました。また綿花栽培も盛んになり、木綿製造でも栄えます。
南部にある下津井は北前船が寄港する港町として繁栄しました。今も当時の繁栄ぶりを思わせる古い町並みが残っており、一部は岡山県指定の町並保存地区になっています。
また児島エリア北部にある由加山(ゆがさん)は、古くから霊山として信仰の対象になり「瑜伽大権現(ゆがだいごんけん)」として祭られていました。
江戸時代には岡山藩主・池田氏の祈願所となります。民衆のあいだでは、讃岐の金刀比羅宮と由加山の両方を参拝する「両参り」が盛んでした。
近現代になると、木綿栽培から発展した繊維産業が盛んになります。学生服やユニフォームの国内有数の産地になりました。
そして児島の地で、初めて国産ジーンズが生まれたのです。現在も児島には、ジーンズをはじめとする繊維関連企業が多く立地しています。
おすすめスポット
児島ジーンズストリート
児島ジーンズストリートは、児島エリアの中心部にあります。
味野商店街の中の400メートルほどの通りで、国産ジーンズ発祥の地であることにちなんだものです。ジーンズストリートには地元のジーンズメーカーの店舗が軒を並べ、それぞれの店が個性あふれるジーンズの商品を販売しています。
さらにジーンズストリートとその周辺には、飲食店やジーンズ以外の小売店など魅力的な店も多いです。
旧野崎家住宅
旧野崎家住宅は、児島で塩田を開発した野﨑武左衛門の邸宅です。
ジーンズストリートのすぐ北側にあります。
敷地面積は約3000坪、建物延床面積は約1000坪あり、瀬戸内地方を代表する庄屋建築です。大きな家屋や6棟の蔵、美しい庭園が保存されており、岡山県指定史跡・国の重要文化財建造物に指定されています。
また蔵の中は野﨑家塩業歴史館になっており、児島の製塩業の歴史を学べるのも特徴です。
下津井町並み保存地区
児島エリア南部の下津井地区は、古くから栄えた港町です。
江戸時代には北前船が寄港し、ニシン粕や綿花の取引が盛んに行われました。また讃岐・金比羅詣でのために海を渡る参拝客も多く訪れ、にぎわっていたのです。
現在の下津井地区には本瓦葺き屋根の家屋や商家・土蔵などの古い建物が残っており、一部は岡山県指定の町並保存地区になっています。
また下津井地区は漁業も盛んで、なかでも「下津井タコ」は有名です。
鷲羽山
鷲羽山(わしゅうざん)は児島エリア南端部の海に突き出た岬にある山です。
遠くから見ると山の形が、鷲が羽根を広げているように見えることが名前の由来といわれています。
鷲羽山は児島を象徴する景勝地で、日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」の一部です。麓を瀬戸大橋が通っており、山上からの眺めは絶景。眼下に瀬戸内海の多島美と、その中を突き抜ける瀬戸大橋の景色は圧巻です。
とくに夕景は非常に美しく、「日本の夕陽百選」に選ばれています。
由加山
由加山(ゆがさん)は児島エリア北部にある山地で、標高はおよそ273mです。
古くから聖なる山とされており、瑜伽大権現と呼ばれていました。瑜伽大権現は、奈良時代に行基(ぎょうき)によって開かれたといわれています。
江戸時代に瑜伽大権現は岡山藩主・池田氏の祈願所でした。また民衆のあいだでは、讃岐の金刀比羅宮と由加山の両方を参拝する「両参り」が盛んにおこなわれるようになります。
もともと由加山(瑜伽大権現)は神仏習合の霊山でしたが、明治時代の神仏分離により由加神社本宮と由加山 蓮台寺に分かれています。現在も由加山は多くの参拝客が訪れ、岡山県下有数の初詣スポットとして人気です。
由加神社本宮の本殿は、江戸時代前期の延宝4年(1676年ごろ)に再建されたもので、岡山県指定の重要文化財になっています。また由加神社本宮の境内には、江戸時代後期の文政12年(1829年)に岡山藩家老・天城池田氏が奉納した備前焼の狛犬、明治27年(1894年)に奉納された備前焼の大鳥居も見どころです。
蓮台寺には、江戸時代中期の寛政年間(1700年ごろ)築造された岡山藩主専用の客殿、享保年間(1716~1736年)に築造された観音堂、江戸時代後期の天保年間(1830~1844)に再建された多宝塔などがあります。客殿と多宝塔は、岡山県指定の重要文化財です。