2022年03月29日

玉島

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「西の浪速」「小浪速」と呼ばれ瀬戸内有数の湊として栄えた町

玉島は倉敷市の西部、高梁川の西側に位置するエリアです。かつて玉島市だった地域にあたり、JR山陽本線・山陽新幹線の新倉敷駅があります。
現在の倉敷市は1967年(昭和42年)に、旧倉敷市・玉島市・児島市が対等合併して新設されました。倉敷市新設後、玉島には倉敷市役所の玉島支所が設置されています。
玉島エリアの地形は、北部と西部が丘陵地となっており、それ以外は平地が多いです。また南部は、海に面しています。丘陵地ではモモやブドウなどの果樹栽培が盛んです。南東の沿岸部は水島工業地帯の一部となり、埋立地に企業や工場が多く立地しています。
玉島の平地部はかつて海で、玉島・乙島・柏島・七島・鉾島などの島がありました。海は江戸時代初期の寛永19年(1642年ごろ)から、備中松山城主・水谷氏によって干拓による新田開発が始められます。その後、備前岡山城主・池田氏も干拓を始めました。
干拓で生まれた土地のうち、干拓で築かれた土手の周辺に港と港町が整備され、「玉島湊」として栄えます。北前船が寄港する港となり、商業が活発におこなわれました。「西の浪速(なにわ)」「小浪速」と呼ばれ、瀬戸内随一の商都となったのです。また、玉島湊は内陸だった備中松山城下の外港としても機能し、高梁川と玉島を連絡する「高瀬通し」も整備されています。
玉島湊が北前船の寄港地として繁栄したため、玉島に残る複数の文化財が日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成文化財として登録されました。

ピックアップ

玉島町並み保存地区

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瀬戸内随一の商都で「西の浪速」として栄えた玉島湊。今でも虫籠窓や格子、漆喰壁やなまこ壁をもつ本瓦葺きの商家や土蔵が数多く残されています。町並の保存活動も活発で、旧玉島港周辺は岡山県の町並保存地区に指定されました。
また昭和中期のノスタルジックな雰囲気の商店街や建物も残されており、注目されています。そのため、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のロケ地にもなりました。

旧柚木家住宅(西爽亭)

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旧柚木家住宅は、江戸時代中期に建てられた商家で、庄屋の住宅でもありました。また備中松山城主が滞在する御座所(ござしょ)でもあります。旧柚木家住宅は国登録有形文化財になっており、北前船に関する日本遺産の構成文化財のひとつです。
御座所として使われていた建物は「西爽亭(さいそうてい)」と呼ばれており、現在一般公開されています。旧柚木家の商家・住宅部分は、生涯学習施設として活用されており、一般利用可能です。

羽黒神社

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羽黒神社は、玉島の中心部にあります。江戸時代前期に備中松山城主の水谷氏が干拓を始めたとき、氏神である出羽国の羽黒山にある出羽神社の分霊を祀りました。これが羽黒神社の始まりです。
羽黒神社が建つ丘は羽黒山と呼ばれ、古くは阿弥陀山とも呼ばれていました。羽黒山はかつて島で、玉島と呼ばれていたという説があります。羽黒山は、玉島の地名由来ともされているのです。
羽黒神社は玉島住民だけでなく、港に出入りした北前船の商人からもあつく信仰されました。そのため、北前船に関する日本遺産の構成文化財のひとつになっています。
また羽黒神社の御朱印は、芸術作品のようなこだわりがあることでも人気です。

円通寺

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円通寺(えんつうじ)は、旧玉島港の西側の山の上にあります。曹洞宗の寺で、本尊の聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)は、通称「星浦観音(ほしうらかんのん)」とも呼ばれ、国指定の重要文化財です。
また円通寺は岡山県指定の史跡で、周辺は岡山県指定名勝の「円通寺公園」として整備されています。境内には、倉敷市指定文化財の本堂をはじめ、文化財が多数。
円通寺は名僧として知られる良寛が、約12年に渡り修行した寺として有名です。境内には良寛の像や、良寛の名を冠した「良寛堂」などがあります。

沙美海岸

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沙美海岸は玉島の西南・黒崎地区の海沿いにあります。
沙美海岸は、日本最古の日本で初めて海水浴場が開かれた海岸です。明治13年(1880年)、療養施設として海水浴場が設置されました。明治15年(1882年)に、本格的な海水浴場として整備されています。
さらに沙美海岸は「日本の渚百選」に選ばれています。沙美海岸は東浜と西浜がありますが、西浜は平成元年(1989年)に人工海浜として整備されました。